
設置公開<2010年7月23日>
主として、パソコン関係の話題。
その他、雑談、情報、愚痴話、自慢話、自説等々。
主旨は、閲覧の皆様に、一寸でも手助けが出来れば、
ご参考になればと、投稿賜りたく。
<不適切投稿は、削除します>
<投稿文は、【シバケンの天国別邸】に掲載します>
本家【シバケンの天国】
アクセス推移、ランキング、迷惑投稿公開、<趣意書>
<明日は我が身>中田ボタンさんが死去78歳<14日>・元祖「アイドル漫才師」 - シバケン
2026/09/19 (Sat) 22:05:53
中田ボタン=1948/04/12<逝去>
中田カウス=1949/06/29
そ、言えば、最近、見てないなあと。
とは、思てたです。
<写真1>
中田ボタンさん(スポーツニッポン新聞社)
<写真2>
中田ボタン(左)、中田カウス(右)(2017年1月10日、今宮戎神社)
<Wikipedia>
>漫才コンビ「中田カウス・ボタン」の中田ボタン(なかた・ぼたん、本名藤長明=ふじなが・あきら)さんが14日、死去した。78歳。香川県出身。葬儀は家族のみで済ませた。2019年2月にステージ4の肺がんであることが発覚し、闘病していた。ダウンタウンの浜田雅功(63)が大きく影響を受けたほどのツッコミの名手だった。
>ボタンさんが最後に姿を見せたのは今年4月に出演した落語家・桂小文枝のYouTubeチャンネル。「体調は万全やがな。一時期は息切れも咳もして悪い時もあったけど、今は全然大丈夫。こないだも1万8000歩ぐらい歩いたわ!」と元気な様子を見せていた。
>19年のがん発覚時には手術ができない状態で、関係者によると「余命3カ月」だと周囲に話していた。その後、抗がん剤による治療で体調が劇的に回復。それでも芸能活動再開するまでには至らず、23年1月に吉本興業に契約解除を申し入れた。関係者は「体調は本格的に漫才をできるまでには戻ってない。けじめをつけたかったんだと思います」。これが事実上のコンビ解散となった。
>大阪・大正区で育ち、子供のころからケンカに明け暮れた“悪ガキ”だった。19歳の時、漫才師を目指して大阪でバーテンダーをしていた中田カウスと知り合い、1967年に中田ダイマル・ラケットの門下生となった。同年「中田カウス・ボタン」としてデビューし、“アイドル漫才師”として女子高生ら若者の人気を獲得すると「追っかけ」が発生した漫才コンビ第1号とされている。
>80年代の漫才ブームのさなかには劇場を中心に活動。88年に賭博容疑で逮捕されるスキャンダルもあったが、話芸に磨きをかけて91年に上方漫才大賞を受賞。ボタンさんは事業に失敗して多額の借金を抱えたことから“吉本一の借金王”と呼ばれ、“吉本一の実業家”といわれる相方のカウスと借金話をネタにしていた。
>ツッコミの技術は高く評価されており、デビュー直後の浜田が舞台袖から見て研究していた。コンビ結成時はお笑い知識は全くなくゼロからのスタートで「相棒は師匠みたいなもん。若い時からついていくのが大変で、ボクのはツッコミではなくガムシャラ」と語っていた。
>コンビは上方漫才大賞を3回受賞。2014年に上方漫才協会の会長にカウス、副会長にボタンさんが就任。若手の指導役としても腕を振るった。
>中田ボタン(なかた・ぼたん)本名藤長明。1948年(昭23)4月12日生まれ、香川県小豆島町出身。中田ダイマル・ラケットに師事し、1967年3月に中田カウスとコンビを結成。69年に吉本興業入りし、71年に上方漫才大賞新人賞。91年、01年、05年に上方漫才大賞を受賞した。
<参考=「中田ボタンさんが死去 78歳 元祖“アイドル漫才師” ステージ4肺がんで「余命3カ月」から闘病7年」(Yahoo!ニュース・スポニチ)>
(26/09/19)
https://news.yahoo.co.jp/articles/85342461e7f4ef9699bba982eff4acfef9e0a865